そもそも、なぜ地方移住か?
地方へ移住したいと周囲の人に話すと、世代によって反応が異なる。
40代~60代の人に話すと、「えっ、移住!? なんで?」と、理解できない様子。
20代~30代の人に話すと、「移住?いいね!自分もしてみたい」と、共感。
もっとも、年上の世代でも地方移住に対して理解を示してくれる人はいるし、
若い世代でも地方移住にピンとこない人もいるので一概には言えない。
しかし筆者の印象として、若い世代の方が地方移住に対して理解があるようだ。
この違いはどこから来るのか?
大きな違いは、高度経済成長やバブル景気を経験しているかどうかではないか。
40代~60代は、バブル景気のお祭りムードを味わった世代。
20代~30代は、バブル景気を経験していない。
特に、団塊世代は、戦後の物の少ない時代に生まれて貧しさを味わっている。
日本の高度経済成長を担ってきた自負もあるだろう。
一方で、若い世代は生まれた時から物で溢れていたので、物への憧れは少なく、煩わしささえ感じる。親の世代の苦労にもあまり思いを馳せない。
団塊世代は、いまでも物があることで安心し、若い世代は物質的な煩わしさから逃れたいと感じているのではないか。
筆者が地方移住を決意した大きな理由としてあるのは、都会に生きる閉塞感。
右肩上がりの経済成長はイメージできないし、バブル景気については嫌悪感すら覚える。
数字的な豊かさを追い求めてきた影の部分、および、環境汚染、格差社会、過労死などに意識が向く。
筆者の利用していた鉄道は、朝の通勤時に週に1度くらいは遅延していた。
遅延の理由は、人身事故、急病人発生、乗客間トラブル。
「この社会、ほんとに大丈夫?」と、思わざるを得ない。
食の問題。コンビニ弁当やファストフードは、どこでどのようにどんな材料で作られているのだろう。添加物や遺伝子組み換え食品などの安全性はどこまで信用できるのか。
中国の食品会社が期限切れの肉を使っていた事件が記憶に新しい。
こうした事態は、生産者と消費者の分断が背景にある。
生産性を追及することで分業化が進み、全てのプロセスを把握する者がいなくなり、このような偽装が起こりやすくなる。
分断された生産者と消費者の距離を縮める必要があるだろう。
そうした取り組みが地産地消であったり、食料の自給である。
経済の問題。現役世代人口が減少し国内消費が減っていく中で、右肩上がりの経済は今後も可能だろうか。
もしも、経済システムが機能不全に陥ってハイパーインフレーションのような状況になった時、お金は価値を持たなくなる。
お金がいくらあっても物が買えないという状況もまったくありえない話ではない。
地方で自給率の高い暮らしをしていれば、こうした事態になったとしても食べてはいけるだろう。
『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著、集英社新書)という本が売れている。
この極めて悲観的なタイトルの本が売れている背景には、
多くの人が、現状のシステムに不安や疑問を感じているからだろう。
地方移住の動機について消極的な理由ばかりを挙げてきたがそればかりではない。
コンクリートではなく自然に囲まれた暮らしは素晴らしいし、
単に物やサービスを買うよりも、自分で時間をかけて作るのは楽しい。
都会で孤独に生きるよりも、人と直接つながることに喜びがある。
地方で暮らすことの苦労や不自由はもちろんあるが、それでも地方での生活に魅力と可能性を感じる。
これからは、足し算から、引き算へ、発想の転換が必要だと考える。すなわち、
より多く稼いでたくさん使う消費型の暮らしから、
生活に必要なだけ稼ぐ足るを知る暮らしへ。
すでにそうした動きは始まっているし、いまがその過渡期である。